まっさらな状態からリスタート
2022/04/27 09時
2012年。今から10年前になりますが、当時『地方から日本を変える』と強烈なメッセージのもと大胆な行政改革を実現していたローカルパーティがありました。
ご存じの方も多いところですが、かの橋下徹氏率いる「大阪維新の会」であります。
この改革の実践は全国に影響を与え、大阪維新の会が主催する維新政治塾においては全国から3000名を超える応募がありました。
当時、私は市議を明確に目指していたわけでは有りませんが、東日本大震災をきっかけに価値観が変わり、なんらかの形で政治に関わろうを考えていました。
そうしたところに維新政治塾の開講です。
私は応募ギリギリに課題レポート「大都市制度について」を提出し、にわかの作文では無理だろうと思っていましたが、運良く第一次合格となり、大阪へ月に2度講義のため通うことになりました。
第一次合格者はなんと2000名。これには当時の維新の会スタッフも想定外だったようです。開場も毎回2000名が一同に集まるとなれば限られます。
またどのようなグループ分けが出来るのか、担当する地方議員は充足できているのか等々、主催側にとって嬉しい反面、相当な苦労もあったと想像できます。
実際の月に2度のレクチャーでは「外交」や「社会保障」などテーマごとに講義と都度レポート提出が有り、後半はグループごとのディスカッションをしたと記憶しています。
当時の同じグループとなった方々とは今も交流が有り、政治家として今も現役の方や引退した方、別の党に所属する方など、10年で自分たちの道をしっかりと歩まれています。
講義に通うことが楽しかったのは全国の同志とお会いできること。
先に述べたように全国2000名の塾生を突貫で仕切れるはずもなく、少しずつ塾生から主催側に不満が上がる中、今度は塾生同士の主体的な勉強会が開かれるようになってきたのです。
ここでは選挙に関する公選法やうまくいったこと、うまくいかなかったこと、各テーマに関する知見を広げるための講座など、熱量をもった塾生の集いだけに建設的な議論が交わされました。
このような流れで半年ほど経過したのち、第二次の選考テストがありました。
面談だけでは有りましたが、党にとって有益かどうかの視点が強かったと記憶しています。確か次期衆議院選挙に立候補する意思があるのかどうか、事務局サイドに政策立案チームとして協力できるかどうか等々。
私はいずれも該当はしなかったのですが、きっと東北からの参加者が少なかったため、運良く第二次選考も通過し、残る塾生は800名ほどに絞られていました。
第二次選考後のグループはいよいよ地域ブロックごとに分けられ、ようやく東北から通っている塾生とお会いすることが出来ました。
なんと秋田からは私1名。宮城、福島からの参加が多く、青森、岩手からも参加がありました。山形県からはゼロ人。
東北の塾生と交流を重ね、それぞれの道を模索しながら、あるべき国の姿を自由に語らいました。
あのときの行動力は今思い出しても早かった。思いっ立ったらなんちゃらで、すぐに宮城、福島と駆けつけたものです。
その精神はJC(青年会議所)で身についたのかもしれません。
その後、開講から1年が経過し第一期の維新政治塾は終了を迎えました。
私にとっての維新政治塾とは、全国の同志と知り合えた唯一無二の時間であり、今も党派を超えた付き合いが実現しています。
では大阪維新の会に対してはどう感じていたのか。
やはり地方での行政改革は類を見ないスピードで実行しており、市議を経験した今だからこそ、その底力に驚かされます。
その後、大阪維新の会は国政政党として日本維新の会を立ち上げることになります。
全国展開のため、東京の石原さんほか、多くの有望な人材と合流離脱を繰り返し、ようやく2022年の今、一定の支持と落ち着きをみせてきたと感じています。
ご承知の通り、私は昨年12月に次期県議選への挑戦を表明いたしました。
その表明をご覧になられた方からは、「維新の会で出馬するのか」とよく聞かれます。
しかし私の答えはノーです。
その理由として、私自身、2019年8月より日本維新の会の一般党員として入党していますが、それは維新政治塾を開催してくれた維新の会への恩返しを込めての意味合いが強く、市議でありながら特別党員として活動しなかった理由でもあります。
本来であれば地方議員は特別党員として、支部を設けるのは一般的です。しかし党本部も察していただき、本部預かりの”一般”党員として取り扱っていただきました。
現在の大阪維新の会、そして日本維新の会の現職議員、維新政治塾時代からお世話になった当時のチューターの皆様には、本当に感謝していますし、政策も最も近いと感じております。
ただ自分の中で次の選挙は「党利党略」政治との戦いと受け止めている部分もあり、維新からの公認や推薦をいただくことは、この戦いに矛盾を生じさせ、自分に対しても背水の陣をもっての挑戦にはなりえません。
故に私は無所属として、中道の立場として、次期戦いに挑むことにいたします。
まっさらからのゼロからの再スタートとなりますが、維新にお世話になった数々の学びを忘れず、これからも励みにしながら自分の戦いをしていこうと思います。
自分に活を。人の名前で戦わず、ぶつかってまります。